激動の2007シーズンが終わり、F1は来季に向けたオフシーズンが静かに、そして激しく動いている。アロンソはマクラーレンと1年で袂を分かち、古巣ルノーへと戻ることを決めた。パートナーはピケJr。かつてのチャンピオンの2世であり、彼もまたルノーテストドライバー経験のある若き新鋭である。2年連続ダブルタイトル獲得チームが今年は散々な結果に終わったが、この二人のドライバーが来季どのくらいチームを引き上げてくれるか期待大である。
一方のマクラーレンは“ステプニーゲート”にはじまるスパイ疑惑に大きく振り回された一年であった。このペナルティーがなければMP4-22は今シーズン最高のマシンであったことは間違いない。マシントラブルで決勝をリタイアしたことが一度もなかったことからも信頼性がずば抜けて高かったことが伺える。昨年までの速くて脆いMP4シリーズからは大きく転換した2007年といえるだろう。そこにはチャンピオンアロンソの貢献も大きかったと思われ、それ故にハミルトンやデニスとここまでこじれてしまったことは悔やまれる。アロンソの抜けた穴をコヴァライネンが果たしてどこまで埋められるか、スパイ疑惑の残り火もまだ残るマシン制作も含めて来季のマクラーレンは本当の意味で真価が問われる一年になるだろう。
3年ぶりのタイトル奪還を果たしたフェラーリ。ライコネンとマッサもベストコンビといえるだろう。シーズン序盤こそマシンを乗りこなせかったライコネンだがそれも徐々に克服し、フライングフィンの名に恥じない走りを見せた。終盤4戦の彼の走りは素晴らしかった。マッサはまだ荒削りな面が抜けない気がする。マレーシアやハンガリーでのような走りをしていてはタイトル争いには絡めない。ナンバー2に終わらないためにはもう一皮むける必要がある。F2007は確かに速かったが、信頼性にやや難があるマシンでもあった。スパイ疑惑がなければポイント上ではMP4-22には負けていたのを考えると、ティフォシとしても喜び半分といったところである。来季もチーム体制がほとんど変わらないので、純粋進化した来季マシンを是非願いたいものだ。
今季一番進歩したのはBMWだろう。来季の目標は表彰台の一番上か。ロス・ブラウン加入のホンダの復活も見逃せない。ウイリアムズの中嶋一貴も楽しみだし、今から2008年が待ちきれない。



ミハエルテスト


それでもやっぱりミハエルが好き!


わたるのドミトリーライフ

【ドミトリーとは英語のdormitory つまり寮という意味】

第2話 大切な人と巡り会うということ

 きっかけが何だったのかは、今ではもう定かではない。けれども僕にとって彼は欠かせない存在となっている。学生時代を通じて一番頼りにした先輩であり、悩み事を打ち明けたり夜通し遊びまくったり、時には厳しく叱ってもくれた。高校までは先輩後輩という付き合いがなかったので、僕にとっての初めての先輩であり、ある意味では兄のような存在となっている。
 エピソードを挙げればきりがない。大磯までドライブに行ったはずが、気がつけば東名が名神になり、神戸に辿り着くというとんでもなく激しいドライブをしたこともある。夜の六甲を上り、展望台から眺めた神戸の夜景の素晴らしさは、僕は一生忘れることはないだろう。同時に、80キロしか出ない軽のワゴン車で延々と高速を走り続けたしんどさも忘れることはないだろうが。
 「先輩ハラ減った。どっか連れてって」誰かが言うと、先輩は二つ返事で車を出してくれる。寮の近くにはコンビニもファミレスもあるのに彼はそこには目もくれず車を進める。気がつくと高速に乗っていて海老名サービスエリアに入る。軽く夜食が食べたかっただけなのに、彼に頼むと必ずそんな結果になってしまう。けれどそれがわかっていながら僕らも彼を頼ってしまう。彼には僕らを惹きつける何かが確かにあった。
 恋愛の相談や人生について、友人関係での悩み事などに彼は真剣に耳を傾けてくれた。そして僕にとっての明確な答えを彼はいつも指し示してくれた。彼の言葉は僕をいつも励まし、前に押し出してくれた。彼の支えがなかったら、僕は何度か大きく挫けていただろう。
 卒業して何年か経つと、彼は神戸に帰ってしまった。けれどその後も彼との付き合いは続いている。時には僕が神戸に行き、時には彼が東京へ来る。会うと必ず飲むことになる。学生時代を懐かしみ、近況を語り合い、将来を希望する(お互いもうそんな歳ではないのだが)。彼と会って色んな話をすると、僕もまだもう少し頑張れるんじゃないかと思えてくる。
 人が生きていく上で大切なものがいくつかある。自分を前に押してくれる人と巡り会えることは、とても大切だ。僕にとって彼は間違いなくそういう人だ。これからもきっと、ずっと、彼との関係は続いていくだろう。

~ 第3話へ続く ~

わたるのドミトリーライフ

【ドミトリーとは英語のdormitory つまり寮という意味】

第1話 新歓期という時期

 入学してはじめの1、2ヶ月は新入寮生歓迎期、いわゆる新歓期という時期である。先輩の部屋を各々訪れて挨拶回りをする“部屋回り”、新入寮生が4つのグループに分かれて演劇を披露し先輩たちに採点してもらう“演劇大会”、大学の体育館を借り切ってみんなでバレーやバスケなどをする“スポーツ大会”、そして新入寮生たちがみんなで弁当を作り、寮から4、5キロ先にあるピクニックランドまで歩いていく“ハイキング”。こうした新歓行事を通して、1年生同士や先輩たちとの交流を深めていくのである。
 部屋周りでは緊張する中で先輩たちに必死に挨拶をする。中には酒を勧めてくる先輩もいて、緊張感は絶えない。僕はそのころはまだあまり飲めない方だったので、緊張とアルコールで頭がグラグラになり、大変だった。演劇大会は、1年が4つのグループに分かれてそれぞれにアイデアを駆使して短い劇を演じる。先輩たちがそれを採点して順位付けをする。優勝グループには特別賞としてディズニーランドの招待券がもらえるというから、1年はみんな必死に劇に取り組む。けれどもそれは嘘であり、優勝が決まったと同時にそのグループはとても落ち込むことになるのだ。落ち込んだ1年たちを先輩がファミレスへ連れて行き食事をおごってくれる。いわゆるこのどっきり企画は先輩たちにとっての毎年恒例のだましイベントなのだ。
 スポーツ大会が終わると記念写真を撮るために池之端へ集合する。1年が全員前列に並んで座り、先輩たちがその後ろに並ぶ。「ハイチーズ!」のかけ声と同時に先輩たちが一斉に1年をドン!と押す。何も知らない僕らはそのまま池の中へドッボーンと落ちる。苔まみれの池にどっぷり浸かった僕らは全身ずぶ濡れのドロドロ状態で寮に帰る。帰るとすでにお風呂が沸いていて、入る準備ができている。先輩たちが前もってお湯を入れていてくれたのだ。ずぶ濡れになった1年と先輩が一緒になって風呂に入る。こうした裸の付き合いをすることで、より親しくなれるのだ。
 新歓期最後の行事はハイキングだ。1年が先輩たちの分の弁当も準備して4、5キロ先にある“こどもの国”というところまでみんなで歩いていく。住宅街や川沿いをおしゃべりをしながら歩く。やっとの思いでついたその場所は、芝生の広場がありサイクリングコースがあり、牧場がありプールがありという広大な遊び場だ。僕らはそこの広場に座り、持ってきた弁当をみんなで輪になって食べる。ゴールデンウィーク初めの頃の暖かい陽差しを浴びながらみんなで外で食べる弁当は、それはおいしいものだ。
 5月を過ぎると新歓期も終わり、みんなそれぞれ自分たちの生活も落ち着いてくる。学校の授業の受け方やサークル活動、生協や図書館の利用方法もそれなりに覚える。そして、寮の中での人間関係もそれぞれに出来はじめる。好きな奴嫌いな奴、苦手な先輩と頼りになる先輩。4、50人の人間が一つの建物で暮らしていれば、そういった人間関係の機微が生じるのも当然だ。いってみれば、それが寮生活というものだろう。
 僕がとても頼りにした人は、隣の部屋に住んでいた学年が2つ上の関西出身の先輩だ。とても可愛がってくれた、僕の寮生活には欠かせないおにいちゃんだ。

~ 第2話へ続く ~

今シーズンも残り5戦となり、ヨーロッパラウンドは今週と来週のモンツァースパの連戦を残すのみとなった。モンツァはいわずとしれたフェラーリのお膝元。チャンピオンシップを考えてもここでの1-2フィニッシュは絶対必須だ。しかし先週のモンツァテストでもマクラーレンが好調を示していたのを見てもわかるように、このシルバーアロー2台を破るのは相当な至難の業だ。さらに昨日のイタリアGP初日にライコネン車にハイドロ系のトラブルが発生しフェラーリに一抹の不安をよぎらせている。フェラーリの信頼性不足は今シーズンずっとつきまといそうで、これがタイトル争いのネックとなるのかもしれない。
モンツァでフェラーリが敗れることがあれば、それは今シーズンの終焉を意味することになるかもしれない。




モンツア1


モンツア2



熱川旅行


 9月1日と2日、風の子会の恒例の行事の一泊旅行が行われました。今年の目的地は東伊豆の熱川でした。初日は肌寒い曇天でしたが、2日目は日も差して暖かく、よい旅行日和でした。初日に訪れた洋蘭パークでは様々な植物を観賞でき、2日目のシャボテン公園では鳥やカンガルー、カピパラや羊など多くの動物たちと触れ合えるような距離まで近づけて楽しかったです。今回は行きも帰りも渋滞に巻き込まれずにスムーズに着くことができ、さほどトラブルもなく無事に済んだことはとてもよかったと思います。職員やボランティアの皆さん、どうもありがとうございました。来年もまた楽しい旅行になることを心より願っています。


久しぶりに詩を書いてみました。

今週末の風の子の旅行の宴会で発表する用です。

たぶん、今の僕はこんな気持ちなんだと思います。


~ ・ ~ ・ ~


どこまでも どこまでも 歩いていこう
たとえどんなに道が険しくても
たとえどんなに太陽が厳しく照りつけても
たとえどんなに風が激しく吹きつけても
たとえどんなに雨が体を打ちつけても
どこまでも どこまでも 歩いていこう

歩き続けて疲れたら 腰を降ろして休めばいい
道ばたにひっそりと咲いている 花を眺めればいい
ひっそりとではあるが ひたむきに花は咲いているはずだ
そんな花を眺めれば また歩いてみようと思うはずだ

たまには空を見上げてもいい
青く広がる空を見れば
悩みなんてとてもちっぽけなものだと気づくはずだ
空にたたずむ雲を見れば
心だってふわりと浮き出すような気分になるはずだ
そんな空や雲を見れば また歩いてみようと思うはずだ

また疲れたら 今度は後ろを振り返ってみてもいい
そこには 今まで歩いてきた足跡が刻まれている
それは 今まで生きてきたということの証だ
楽しかったこと 苦しかったこと
嬉しかったこと 悲しかったこと
それらすべてが 歩いてきた道にちゃんと刻まれている
たまにはそれらを思い出して 心にちゃんと刻み直すのもいいかもしれない
そうすれば また歩いてみようと思うはずだ

生きるということは 歩くということだ
生き続けるということは 歩き続けるということだ
どんなに急な登り坂でも どんなに険しい曲がり道でも
生きている限り 歩かなくてはならない
そして たまにあるかもしれないとても幸福なひとときを
きちんと心に刻み込んで
自分の糧として歩んでいく
人生とは結局 そんなものなのかもしれない

どこまでも どこまでも 歩いていこう
たとえどんなに道が険しくても
たとえどんなに太陽が厳しく照りつけても
たとえどんなに風が激しく吹きつけても
たとえどんなに雨が体を打ちつけても
どこまでも どこまでも 歩いていこう


トルコGPはマッサーライコネンのフェラーリ1-2という結果に終わった。グリップの低い偶数列だったハミルトンをスタートでライコネンが抜いた後は、ピットストップも各スティントも何の問題もなく、今シーズンよくみかけるポールトゥウイン、加えてライコネン2位ゴールというフェラーリにとっては満足のいくレースとなった。おまけにレース終盤のハミルトンのタイヤバーストによる順位降格は、フェラーリにとっては更においしい結果となった。これでチャンピオンシップはトップのハミルトンに対してマッサが15ポイント、ライコネンが16ポイント差となった。残り5戦ということを考えればこの差は決して小さくはないし、追いつくのは現実的にはかなり難しい。狙うとすればコンストラクターズタイトルの方だろうが、ここまで全戦完走を果たしているマクラーレンに対し、今シーズンはやや信頼性に不安感があるフェラーリがどこまで追いつけるかは、あやういところである。唯一の期待はマクラーレンのお家騒動くらいだろうか。
次戦はフェラーリの母国モンツァ。ここでもフェラーリは1-2が絶対必至である。



トルコGP



シャボテン公園にて


暑いです~

毎日暑いです~

連日猛暑日です~

なんかみんな「暑いですね」が」挨拶になってますよね。

まだしばらく続きそうです。

くれぐれも、熱中症にはご注意を。

脳がとろけてます~


風の子会の会報で連載記事を始めました。毎号掲載予定なので、こちらにも定期的に載せていけたらと思っています。

よかったら、感想などもお待ちしています。


~・~・~


わたるのドミトリーライフ
【ドミトリーとは英語のdormitory つまり寮という意味】

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 昔語りをするほど歳を取った訳ではないが、人生の折り返し点に差しかかったという自覚のある年齢になり、これまでを少し振り返ってみてもいいのではないかと思うようになった。僕のこれまでで一番輝いていたのは、なんといっても学生時代だ。好奇心に溢れ、野心があり、体力も気力も最も充実していた。青春という言葉は今は古臭く聞こえるかもしれないが、僕にとっての学生時代はまさに青春そのものだった。
 学生時代を少しずつ振り返ることによって、あの頃は良かったという懐古趣味的なものに陥るのではなく、当時の元気を取り戻したいという思いも一つにはある。それに、こういう話を読者の皆さんに読んでもらって、僕という人間を少しでもわかってもらえれば、それはとても嬉しいことでもあるのだ。
 これは、そんなあるメンバーの昔語りである。

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序章 学生寮に住むということ

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 高校を卒業し浪人期間を2年過ごした後、推薦試験でやっとの思いで受かった学校は家から車で1時間近くかかる距離にある、東京と神奈川の県境にある小さな大学だった。毎日の通学を1時間かけて通うことを親に頼むというのも何だか気が引けたし、幸いにも学部棟の隣りに学生寮があったので、そこで生活をしてみようということになった。当時の僕は親元を離れる不安感よりも、新しいキャンパスライフと寮での初めて会う人たちとの触れ合いに対しての期待感でいっぱいだった。
 僕が住むことになった学生寮は、お世辞にも綺麗な建物とはいえなかった。築20年以上建っているその鉄筋コンクリートむき出しの寮棟は、今にも崩れ落ちそうな気配すら漂っていた。トイレと風呂は共同だし、廊下はゴミ袋で溢れかえっている。食堂も会議室に毛の生えた程度のもので、今思うとよくあんなところで生活ができたものだと我ながらに思う。
 入学式の前日に入寮式があり、その日が僕ら新入寮生の寮生活の始まりの日だった。寮に着き、初めて自分の部屋にはいると、そこにはジャージ姿で体育会系のがっしりとした体格の、無精ヒゲを備えた男がいた。「君が小野塚か?」といった彼は、どうやらこれから1年間、一緒に生活をする先輩らしかった。
 「よろしくお願いします」と頭を下げたものの、彼とうまくやるのは難しそうだと会ってすぐに直感した。実際、この先輩とは1年後にも初めて会ったときと印象は変わらなかった。

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~ 第1話へ続く ~


ニュルブルクリンク

北米2連戦で信じられないような低迷振りを露呈したフェラーリだったが、ヨーロッパラウンドへ戻るとライコネンの連勝で本来のポテンシャルを取り戻したかに見えた。そして迎えたヨーロッパGP。予選でハミルトンが大工ラッシュを演じたためにここはフェラーリが絶対に勝たねばならないレースだった。しかし激しい雨による混沌とした決勝はライコネンリタイア、マッサは終盤にアロンソに抜かれて2位と決して満足のいく結果ではなかった。ポイントリーダーであるハミルトンがノーポイントに終わった以上、ここはフェラーリにとっては1-2フィニッシュは必至であったはずだ。それがこの結果ではどうにも頷けない。マクラーレンには熾烈なトップ争いという悩ましい問題が今後も続きそうだが、一方のフェラーリはレースを最後まで走れるマシンが必要かもしれない(これは去年までマクラーレンが抱えていた問題というのは何とも皮肉な話だ)。計算上はまだライコネンにもタイトルの可能性はあるが、そろそろフェラーリは一人のドライバーを勝たせる戦略スタンスを取るべき時期かもしれない。